白猫しーちゃんの想い出

寝たきりの美猫しーちゃんの記録

白猫しーちゃんの旅立ち

5月11日に当日までの模様を書きましたが、結果的に、翌12日が最期の日となりました。

 

4月以降、しーちゃんの病状は本当に激しく揺れ動き、私たちもそれに一喜一憂し、また、往診医さんも含め、必死に対応してきたと思います。なので、とても長い時間を過ごしたようですが、振り返ると、とても短い、あっという間の時間でした。

 

記録した動画や画像を見ると、ほんのわずか前にしーちゃんができていたことが、急速にできなくなっていったのがよく分かります。5月に入ったばかりのしーちゃんが、本当に遠い存在のようです。5月に入ってからは、階段を一歩一歩降りるように、病状が着実に進行していきました。4月の発作以降、劇的に回復しましたが、それはやはり一時の奇跡を見せてくれたのだと思います。それは、しーちゃんが最期に見せてくれた、夢の時間、私たちにプレゼントしてくれた、短い別れの時間だったのでしょう。

 

しかし、もうほとんど諦めざる得なかった私たちには、十分過ぎるプレゼントだったと思います。しーちゃんは、生命の最後の一滴まで頑張ってくれたと思います。ただ、人間は欲張りなもので、ついこのあいだは諦めていたのに、奇跡をみせてくれると、もっと生きてほしいと欲が出てしまいます。でも、いまは、生命力の限りを尽くしてくれたしーちゃんに、感謝しかありません。

 

5月12日、朝方、やや息苦しそうにしています。少し呼吸が乱れているようです。呼吸の変化は、看取りの段階において、非常に重要な変化だと理解していましたので、緊張感が走りました。酸素室に入ってもらい、しーちゃんの状態を午前中いっぱい、見届けていましたが、幸い、この段階では、それ以上の状態の変化は見られませんでした。容態が落ち着き、午後は少し、しーちゃんとともに、落ち着いた時間を過ごしました。

 

昨日から動くことができないのはもちろん、食事は受け付けませんし、水を飲むのも苦しいような状況で、舌も元気な頃のようにでてきません。やはりもう限界に近かったのだと思います。声も前日あたりから、本当にか細い、子猫のような声となっており、この日はさらに消え入りそうな声となっていました。

 

夜、私がしーちゃんの輸液の準備などをしていると、妻が、しーちゃんの変化に気づきました。「鼻がひくひくしているよ」と。どうやら、また、呼吸が乱れてきているようです。それは21時頃だった思います。午前中のように、落ち着いてくれればと、高濃度酸素も当て続けて、心の中で祈りましたが、落ち着く気配は見られません。

すると、次第に呼吸が荒くなっていきます。輸液の準備はしましたが、もはや投与は諦め、しーちゃんの側で声を掛け続けるしかありません。いよいよ、看取りの時間が近づいてきたのかもしれません。

 

口も開くようになり、必死に呼吸をしようとしているように見受けられました。その時は、尻尾も膨らみ、上を向くようになっています。時に身を捩って、苦しそうにしています。そうなると、もう見ているのも辛くなってきます。「頑張って」とはもう声を掛けられません。「もう十分がんばったよ、楽になっていいんだよ」と、妻とともに心の中で叫んでいたと思います。

 

いよいよ、苦しくなり、必死に口で息を吸おうともがいています。私は必死に名前を呼びながら、心拍を取りました。その直後、一息したかと思った刹那、静かにその動きが止まりました。私の手がしーちゃんの鼓動を感じ、しーちゃんの動きが止まったわずか後に、その鼓動も静かに止まるのが、私の手に伝わりました。

 

それが最後でした。

しーちゃんが今まさに旅立っていったのです。

 

時間は23時を差していました。呼吸が乱れてから2時間ほどが経過していました。ただ、口呼吸になってからは30分くらいだった気がします。そして、本当に苦しそうに必死に呼吸をしだしてからは、わずかな時間だっと思います。

 

奇跡を起こし続けたしーちゃんも、その生命の火を最後まで使い果たし、逝きました。高齢でもあり、腎臓病が非常に悪化した時点で、永く期待するのは難しいものであり、いかに、穏やかな最期を迎えさせてあげるかが、私たちのできる最期の、最大のことであったと思います。

再びのけいれん発作などを起こさせることなく、長く苦しむことなく、逝かせてあげることができ、一抹の安堵感はありました。

 

この後、私たちはひとしきり泣いた後、思いのほか冷静に、亡き骸を整え、さまざまなものの片付けを進めました。悲しみ、徒労感、安堵感…さまざまな気持ちが交錯してしまい、感情が麻痺してしまっていたようです。しかし、時間が立つに連れ、次第に、どんなに頭で納得しようと、感情が付いていかなくなってきます。

 

「しーちゃんは、健康で長生きで、穏やかな一生で幸福だった。私たちも、最期まで一生懸命面倒をみて、医師とともに、できる限りのことをし、全く後悔はない」。そういうふうに、頭では納得しているのです。でも、どんなに頭で納得しても、感情はそれとは別の生き物だということを、はっきり知らされました。何度も危機があり、頭では覚悟はできていたつもりでした。しかし、心は覚悟はできないのです。

 

ほとばしるように流れる涙を、止めることはできませんでした。

 

たくさん撮ってきたしーちゃんの画像の中で、一番かわいい写真です

 

しーちゃんが亡くなりました

残念ながら、しーちゃんが昨日夜11時頃に亡くなりました。朝方もやや呼吸が苦しげでしたが、日中は落ち着いており、持ち直しているかと思ったのですが、夜の9時頃になり、鼻がひくひく、息苦しそうになり、次第に口呼吸となり、間際には、やや身をよじって、息苦しそうにすることもありましたが、それから短い時間で、静かに呼吸、そして、心臓が止まりました。大分衰弱していたこともあり、ほとんど苦しまなかったと思います。

 

何度も危機に瀕し、こちらも覚悟はしていましたが、とても悲しく、また、亡くなってしまった徒労感、しーちゃんが楽になり我々も無事看送れたという安堵感と、さまざまな思いが交錯しています。

また改めて書いていきたいと思います。

 

生前しーちゃんをかわいがってくださった方、ブログなどを通じて知っていただいた方、医療関係のみなさま、本当にありがとうございました。

 

去年の今頃のしーちゃん。まだまだ元気でした。

看取りの準備

生来、仕事などでも、事前の準備やスケジューリングをしっかりするタチなので、しーちゃんの看取りについても、少しづつ、生きている間に進めています。

 

ひとまずは、家のいろいろなところを片付けています。

 

私は元々楽天家で、あまり物事を悲観的に考えない、悲しまないタチです。幸い、(今年近親者を亡くすという不幸がありましたがそれ以前は)、人生で悲しむようなこともあまりありませんでした。そういった中で、しーちゃんを亡くすというのは、かなりのダメージです。18年間ずっと一緒でしたし、決して人に怒らず、気は優しく懐っこく、とはいえ、思い通りにはならない猫らしい側面もあり、本当にこの、しーちゃんにぞっこんになっていました。夜も決まって私の枕元で寝てくれたり、かなりべったりでしたので、しーちゃんがいなくなってしまうというのは、想像もしたくないことでした。

 

正直、この3ヶ月間で、危ない状態になったり、悲しい想像をしてしまった時は、本当に号泣していました。基本的に、ある程度成長してからは、私はほとんど泣いた記憶もありません。妻の前で泣くのも初めは憚られましたが、もはや、だんだんそうも言っていられなくなりました。本当にささいなことでも、涙がこぼれ落ちる状態で、先が思いやられています。

 

そんな調子なので、ペットロスになること請け合いです。なので、できるだけ、早めに、家の中から、しーちゃんを思い出すようなものを片付け始めています。しーちゃんは、だんだんと動けなくなっていますので、しーちゃんが移動できない範囲のものは、整理しています。例えば、しーちゃんがいつも飲水していた、お風呂場の洗面器(水はいつもきれいにしていました)、私の部屋のしーちゃん用の寝床やお餌、しーちゃんが毎晩寝ていた私の枕元に敷かれたひざ掛け、そういった、もう使えないだろうものを片付けました。これらを残しておくと、しーちゃんが逝ってから、本当に辛いので…。もし万一、奇跡的に回復してくれたなら、また元に戻せばいいだけです。

 

あと、葬儀場も探していました。「縁起でもない」ので、生前探さない人もいるのかもしれませんが、このなにより大事なしーちゃんを、どこよりも素敵な場所(があるかは分かりませんが)で送ってあげたい、そう思っていました。なかなか、ネットで探すと、さまざまな情報に当たってしまうので、すぐに見つかるか分かりません。なので、結構時間を掛けて探していました。以前うちにいたくろ丸の時は、移動火葬車に来てもらい、お骨にしてもらいました。ただ、それは正直、味気なかったです。ですから、できれば、きれいな葬儀場で、しーちゃんらしく、華々しく送ってあげたいのです。一応、比較的近隣で、きれいな場所が見つかったので、そこにお願いしようかと思っています。

 

あと、ちょっと怒られるかもしれませんが、少し、剥製にしたいとも思っていました。しーちゃんは、病気になってもずっと美しく、きれいな真っ白な毛並みで、また、姿かたちもなくなってしまうのが、あまりにも寂しく、身体だけでも、残せないか?と思ったのです。ただ、やはりすでに生き物ではないですから、保存も難しいですし、ケースにいれたままというのも、また忍びない話です。「剥製は残酷だ」とかそういった意見もありますが、別に焼いたり、土の中で腐らせたりするのと比べて、何ら残酷とは思いませんし、特に宗教的な考えもないので、選択肢としてはあり得ましたが、結局やらないことに決めています。

 

そして、「何らかの形でしーちゃんを残したい」という想いを、剥製ではなく、あることが満たしてくれました。それがこのブログも含めた「SNS」です。これは私にとって、「SNS葬」とも言えることなのかなと思いました。SNSに、その想い出を残し、多くの人に見てもらったり、ネット上に長くそれを残すことによって、あたかもしーちゃんが永遠の生命を得たかのように感じられ、私にとって、(しーちゃんはまだ生前ではありますが)、救われるような気持ちになっています。これについてはまた詳しく書きたいと思います。

 

最期に、たまたまネットで見つけたのですが、ペットのDNAを残すサービスがあるようです。ペットの口内から組織を取り、それを送ることによって、DNAを抽出し、残してくれるサービスとのことです。やや高額(2万いくら)ですし、「何の意味が?」という方もいるかもしれませんが、やってみることにしました。しーちゃんクローンを作りたいとは言いませんが、いつか、奇跡的に、しーちゃんと繋がりのある猫と出会えるかもしれません。そんな夢をみて、やってみたいと思います。

 

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しーちゃんのいま(2022年5月11日)

しーちゃんは5月初旬から急速に衰えをみせています。5月の3日、4日あたりはまだなんとか少しは歩けたのかもしれませんが、それも難しくなり、ひとつひとつ、できないことが増えていっている感じがします。

 

5月6日に検査をし、それに伴い、7日に薬を追加するなど、新たな方針で闘病していこうとしていましたが、8日にはさらに血便が重なるなどで、衰えは著しく、往診医さんからは、酸素不足の苦しみを取り除けるよう、酸素室を提案されました。

 

正直、末期に及んで、狭い部屋に閉じ込めるなど、避けたいことでしたが、それによって本人の苦しみが少しでも和らぐなら、と、取り入れることに決めました。そして、早速、8日の日曜日から酸素室に入ってもらうことにしました。

 

これだけ衰弱してくると、正直、どこまで医療の力を借りるべきものなのか、疑問にも思えてきます。ただ、決して延命をしているわけではなく、「生命の火が消えるまで」、できる限り、苦痛を取り除いてあげよう、という、終末期医療を専門とする往診医の方針に同意し、それに沿って、しーちゃんを看取っていってあげようと、決断しました。

 

とはいえ、ずっと奇跡を起こしてきたしーちゃんですから、「もしかしら」という思いもなくなったわけではありません。酸素室が魔法を起こしてくれるのでは…と、一抹の望みに賭ける気持ちもありました。そして、その夜、翌日と、酸素室に入ってもらいました。

昔のしーちゃんであれば、自由気ままを愛する子だったので、すぐに出たがったでしょう。ですが、すでに弱っていたしーちゃんなので、大人しく入っていてくれました。丸一日ほど入りましたが、残念ながら、奇跡が起こることはありませんでした。

 

翌日あたりになってくると、さらに衰弱しているように見えます。少し前までは、水は自分でそれなりにたくさん飲んでくれていたのが、飲むのも辛そうに見えます、当然、ご飯を食べることはありません。幸い、血便はあれ以来、見なくなりましたが、逆に若干の血尿が出始めたりしました。また、非常に薄かった尿が、この頃には、かなり濃い色になってきました。これも恐らくは、良い現象ではないのでしょう。

正直、輸液するのも怖く、「輸液の刺激で、心臓や呼吸が止まってしまうのでは?」と心配になり、先生に相談もしました。一応、尿も出ており、そこまで危険な状態ではないと判断されたのか、薬はそのままで、輸液量を半分にすることに決めました。

 

「もう一両日中か…」と覚悟をしていましたが、しーちゃんはここでも、少しの奇跡を見せてくれました。

 

それは昨日(2022年5月10日)のことです。日中、妻が携帯で電話をしていました。しーちゃんは、もともと不思議なところがあり、人が電話をしていると、傍らでさかんに鳴くという癖がありました。かわいいのですが、少しうるさく、相手によっては少し恥ずかしくなります…。

そして、妻が電話をしている時に、もうあまり反応しないだろうと思っていたしーちゃんを側に連れて行ったところ、盛んに鳴くではありませんか!もうほとんど朦朧としていて、反応も薄いしーちゃんですが、以前のような反応を見せてくれ、夫婦でとても喜びました。

 

そして、もうひとつ奇跡を見せてくれました。

それは、その日の夕方、少し用事で出かけた際、ふと、「マグロ食べたりしないかな」と思いました。もう絶対に食事は無理だろうと思いましたが、駄目元で買ってみることにしました。そして、それを細かく、食べやすくし、出してあげたところ、なんと!すごい勢いで食べようとするではないですか!残念ながら、もうそれほど食べることは難しいようで、食べたのはほんの僅かな量でしたが、ともかく、食べてくれたことが本当に嬉しかったです。しーちゃんの生命の火はまだ消えていない、そうはっきり思いました。

 

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翌朝もマグロは少し食べてくれましたが、もう夜には食べてくれなくなりました。5月11日段階では、水を自分から飲むのも難しく、一応舌は少し出ますが、飲ませるのも一苦労なので、食べるのはもう無理になってしまったと思います。

 

5月9日中くらいまで酸素室に入れていましたが、少し出たそうだったので、10日には出してあげることにしました。一応、チューブを鼻元に寄せて濃度の濃い酸素を吸えるようには、配慮しました。夜は、妻の傍らで寝ると安心するようなので、そうしてあげることにしました。

10日、11日あたりは、もうほとんど動かない状態です。ただ、横になるのは辛そうで、身体を起こさせて、両脇と頭の下にクッションを置いて、支えにしているような状態です。そのままにしていると、ほとんど反応もありません。とはいえ、抱っこしてあちこち動くと、頭を動かして、動くものを見たりしているので、意識はそれなりにはっきりあるのかなと思います。

 

また、この両日あたりには、面白い反応もありました。

それは私や妻が、しーちゃんの側からいなくなって少しすると、声を出して呼ぶようになったのです。特に妻がいないととても寂しいようで、呼ぶようになりました。昔から、少し寂しがり屋のところもあり、寂しくなると私を呼びにきたりしていましたが、いまはそれが特に顕著になっているような状態です。寂しいのか?なにか不安なのか?、とてもかわいそうな感じもしますし、愛おしいような反応でもありました。

そして、その声は、以前の、女の子の声だけれど結構大きくて太い声だったしーちゃんが、まるで子猫のようなか細い声になっていたのです。

その変化は、もう先があと僅かなのを感じさせて、切なくもあり、また、まるで、子猫に戻ってしまったようでもあり、本当に愛おしいものです。

 

介護も長くなり、大変にはなってきていますが、子猫に戻ってしまったようなしーちゃんも、本当にかわいく、できるものなら、この時間が少しでも長く続いてほしい、そう思わずにはいられません。

 

ひなたぼっこするしーちゃん

 

しーちゃんのいま(2022年5月8日)

しーちゃんの現況を書きたいと思います。

 

発作後、治療を開始してから、しーちゃんはめざましく回復し、4月中はかなり元気になっており、足腰はやはり十分立たないものの、食欲もそれなりにあり、ごろごろ喉を鳴らし、大きな声で反応してくれるなど、奇跡的な姿を見せてくれていました。そして、無理だと思っていた4月をついに越え、5月を迎えることができたのです。3月、4月と、それぞれの月を向かるのは難しいのでは、という調子の中、しーちゃんは奇跡を見せ続け、乗り越えていってくれました。気付けば、最初に医師に掛かってから、3ヶ月をなんとか過ごすことができたのです。

 

しかしながら、5月あたりを境にぐっと調子が落ち込んでしまいました。

明らかに元気がなく、食欲も低下し、目は開いていても、朦朧としてあまり反応することも少なくなってしまいました。このような低下した状態がここ一週間ほど続いており、一昨日あたりは、便が久しぶりに出たと思ったところ、黒色で、どうやら消化管出血をしているようでした。これも今日まで数度続いており、辛そうに見えます。

多少元気な時は声を出してくれ、ふらふらしていますが、少しなら歩くことは可能です。また、食事はほとんど、積極的にしてくれなくなってしまいましたが、昨夜は焼き鮭を若干ですが、自分から食べてくれました。そして、尿は変わらず出ており、飲水は十分してくれています。

とはいえ、極めて具合が悪そうなのは明らかであり、見ているのも辛いものです…。

 

腎臓の数値がかなり悪いのかと、懸念していましたが、一昨日の採血による検査の結果、腎臓の数値はそれほど悪化していないことが分かりました。BUNは110程度、クレアチンは不思議と下がっており、3台だったかと思います。

医師の所見では、どうやら、心臓に影響が出てきているようでした。けいれん発作や腎臓の悪化は抑えられていますが、やはり、頑張ってきた無理があちらこちらに出てきてしまっているのだと思います。腎不全から、胃潰瘍が起こり、出血するケースもままあるようなので、上部消化管もかなり悪い状態なのだと思います。

 

現在、それぞれ、症状が出てきたものに対し、対症療法で投薬を行っています。少しでも楽になってくれればと思いますが、発作後の、意識を取り戻して、少しでも以前のしーちゃんの姿を見せてほしい、元気になってほしいという願望から、思いが少しづつ変わってきています。

しーちゃんは本当に十分頑張ったと思います。いまは、しーちゃんが苦痛から解放され、少しでも楽になってくれることが望みです。

 

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しーちゃんの発病(5)

前回は救急医に連れて行ったことを書きました。

夜間11時頃でしたが、すぐにご対応していただいたのはありがたい限りでした。なお、その時に、検査も行っており、やはり腎臓は悪く、尿素窒素113.2、クレアチン7.02であり、2月ほどは悪くはなかったものの、3月の一時改善した数値よりは悪化をしていました。救急医さんの見立てでは、尿毒症によるけいれん発作、と考えられているようでした。

ともかく、けいれん発作対応の座薬を渡され、しーちゃんを手元に戻し、帰宅することとなりました。帰宅すると、深夜3時半くらいになっていました。

 

自宅で改めてしーちゃんをみて、呆然としました。

 

目は見開いていますが、外からの声掛け、刺激にもなんの反応もありません。声は一切出さず、ただひたすら、手足だけを前後に動かし続けています。これはけいれん発作のひとつである、遊泳運動です。口からはだらりと舌を出してしまっています。

 

もう依然のしーちゃんは、そこにはいませんでした。

 

とはいえ、鎮静が掛かっており、一時的なものかもしれません。朝になったら、元のしーちゃんに戻っているに違いない。そう信じて、その夜は短い休みに就くことにしました。寝室ではなく、しーちゃんと一緒に休むために、居間に敷いた布団で、しーちゃんとともに横になりました。

 

翌朝。

 

淡い期待ははかなく消えました。しーちゃんの状態は全くと言ってよいほど、何ら回復はしていませんでした。こうなると、鎮静の影響ではなく、けいれんの影響で脳に深いダメージを追った、そう考えざる得ません。そうなると、きっと回復は難しいものになるのだろう。しーちゃんが、まだ命をとりとめてくれたのは、嬉しいことなのですが、あまりにも悲しい姿です。

 

でも、頭を撫でると、少し押し付けてくる感じがしました。「きっとまだ感覚は残ってるし、声も聞こえてるよ」。そう信じ、たくさん声を掛け、撫でてあげました。「少し前まで、もう亡くなってしまう、そう思っていたんだから、生きていてくれるだけで、ありがたいことだね」、そう夫婦で語り合い、できるだけ穏やかな形で、最期の命の炎を見送ってあげたい。そう考えたのでした。

 

もしまた発作が急に起きても、当然なかなかいまの状況ではすぐに対応はできません。できるだけ生きていてほしいですが、さりとて、苦しんでもらいたくはありません。どれだけの長さになるか、きっとあまり長くはないと思いましたが、できるだけ穏やかに過ごしてもらいたいと、緩和ケア、ターミナルケアを専門とする往診病院(わんにゃん保健室さま)に頼ることにしました。

 

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往診医さんは、幸い連絡した当日、すぐに来てもらえました。看護師さん2名とともに、獣医師さんがいらっしゃり、状況をお話するとともに、検査結果もじっくりとご覧になりました。その上、今後の治療方針をお話してくださいました。

あまり正確ではないかもしれませんが、概ね、「発作の可能性が高く、危険な状態。発作を起こさないため、できるだけ鎮静させ穏やかに過ごしてもらうか、発作のリスクを取っても、回復を期待するか」というような話だっと思います。実際はもっとしっかり詳細に、現在の状態を含め、今後の方針もお話してくださっています。このように、非常にしっかり、方針を明示し、相談してくれる獣医さんはあまり記憶になく、非常に頼もしい思いでした。

 

そこで、私は言ったことは、「もう何度も命が危ないという危機があり、覚悟はできています。この状態のまま生きていくのは、我々にもしーちゃんにも辛いことだと思います。たとえ、翌日に亡くなってしまうとしても、一日、前と同じようなしーちゃんに戻ってくれるなら、それを望みます」

先生はそう言った私の思いを汲み取り、方針を明確化してくれました。これまで使用をしてこなかったステロイドを投与し、その効果に期待してみよう、ということになりました。早速、自宅内で看護師さんが、点滴投与する薬や、痙攣止めを準備してくれています。そして、準備ができると、どのような手順で、投与するか、万一発作の時はどのように対応するか、などを詳細にレクチャーしてくれました。このような往診医さんの対応も初めてです。

これで発作の時も、我々で対応できることとなり、非常に安心しました。

 

その日は、夜に投与する分の薬を、夕方来ていただいた往診医さんとともに投与し、様子を見ることになりました。中一日置いた翌々日にまた来ていただくことになりましたが、まずは、そこまで生きていてほしい、そう思いました。

この時点では、意識の回復をそう強く信じていたわけではありません。ほとんど植物状態になってしまったしーちゃんが、劇的に回復するなど、きっと難しいと思っていたのです。まずは、また再び発作が起きないことを祈りました。

 

そして、奇跡が起こったのです…。

 

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この続きは、4月25日に書いた、「しーちゃんの昨夜、そして今朝」につながります。

 

 

しーちゃんの発病(4)

2022年4月21日。

 

やや調子が悪いものの、一応、状態を維持しているしーちゃん。とはいえ、ここ数日はめっきりと食欲も減り、食べさせるのに本当に難儀していました。少し前は、鮭などを焼くと喜んでかぶりついてくれたのですが、ここ数日はそれすらも、なかなか食べてくれない日が続きました。

 

この日の午後、夫婦で買い物に行き、帰ってから夕食までの間、居間でのんびりしていました。しーちゃんも我々が寛ぐ場所から手が届くところにある、自分のベッドで休んでいました。

 

そして、18時5分頃だったと思います。

突然、しーちゃんが身体を硬直させ、ブルブルで震え、目をかっと見開き出しました。呼吸や動悸はこれ以上ないほどに激しくなり、「なぁー!」と、聞いたこともないような、激しい唸り声をあげています。

 

「けいれん発作だ!」

 

すぐに気が付きました。以前に飼っていた、くろ丸という猫が、最期、激しいけいれん発作を起こし、そのまま亡くなったこともあり、また、腎不全も末期になると毒素の影響でけいれん発作があることを読んでいたので、すぐに分かりました。本当に苦しそうにしている、しーちゃん。恐らくは意識もなくなっているのでしょうが、かわいそうでなりません。そして、このまま逝ってしまうに違いないという思いも頭をよぎり、絶望的な気持ちに襲われました。

我々にできることはなく、ただ、収まることを祈るしかありません。3分から5分程度続いた激しい発作は一旦、落ち着きますが、依然として、身体は硬直し、呼吸は激しいままです。

 

幸運なことに、この夜、掛かっていた往診医がたまたま、輸液のお届けに来てくれるという予定になっており、慌てて電話を掛け、早めに来てもらい、対処していただけることになりました。発作の30分後位に到着され、早速、けいれん止めを投与してもらい、少し落ち着いてきました。ともかく、このひどい痙攣で命を落とさずに幸運だったと思います。

ただ、発作の再発の危険は変わらないままで、不安の中、翌日を迎えることとなりました。また、この大きな発作で、恐らく脳にダメージを受けたようで、二本の足に全く力が入らなくなってしまいました。

 

翌日、歩けなくなってしまったしーちゃんは、それでも歩こうと必死に動きます。我々は、力の入らない下半身を支え、しーちゃんの行きたいところに、一緒に動いていきます。中腰で、しーちゃんの胴体を支えながら移動するのは、なかなか重労働です。でも、しーちゃんの動きたいという意思を支えてあげたいと思いました。

発作直後でしたので、この日も日中、往診医が来てくれることになりました。そして、この往診中にも軽いけいれん発作が出ましたが、この時は、けいれん止めを迅速に投与したことも功を奏したのか、大きな影響はなかったようです。

 

そして、さらにこの夜。下半身がなかなか立たないので、おしっこを床などでしてしまっていましたが、この時も、居間でおしっこをしてしまいました。22時半頃だったと思います。そして、おしっこした場所から、クッションに移動させてあげたところ、これは発作での失禁であることに気づきました。最初のけいれんほど激しくはないものの、やはり手足を硬直させています。

それが10分程度続きましたので、すぐに対処しなければと思いましたが、このような夜間であり、その時のかかりつけの往診医では対応できません。予め調べておいた、夜間対応の往診や病院に連絡し、車で15分ほどの夜間救急に運ぶことになりました。そして、車を飛ばして、23時頃には、診てもらうことができました。

正直、救急病院に運ぶ時、夫婦の間ではほぼ絶望的な気持ちになっていました。再三の発作で、意識もなくなり、もしかしたら、苦しい思いをしているかもしれません。このまま亡くなってしまうことも覚悟していましたし、安楽死を勧められるかもしれない。最期を看取るつもりで、病院に車を飛ばしていました。

 

意識はほとんどないようでしたが、手足を盛んに動かす、遊泳運動が続いていました。これはけいれんの発作です。救急病院では、発作を抑える薬を投与するとともに、ゆっくりと深夜まで輸液を投与することを提案されました。我々は、深夜3時まで、コインパーキングに停めた車内で、仮眠を取ることとなりました。

救急病院では、発作があまり強くないということで、それほど強くない薬を投与するということをお話されていました。それを聞いて、その時は「そんなに重大な症状ではないのかな?」と思いましたが、今から考えると、「呼吸が止まってしまう危険もあるほどの抗けいれん薬の投与は必要ない」というようなニュアンスだったのかもしれません。

 

いずれにせよ、深夜、しーちゃんは我々の手元に帰り、帰宅となりました。

しかし、そこで再会したしーちゃんは、驚くような、悲しい状態になっていました。(つづく)