白猫しーちゃんの想い出

寝たきりの美猫しーちゃんの記録

白猫しーちゃんの旅立ち

5月11日に当日までの模様を書きましたが、結果的に、翌12日が最期の日となりました。

 

4月以降、しーちゃんの病状は本当に激しく揺れ動き、私たちもそれに一喜一憂し、また、往診医さんも含め、必死に対応してきたと思います。なので、とても長い時間を過ごしたようですが、振り返ると、とても短い、あっという間の時間でした。

 

記録した動画や画像を見ると、ほんのわずか前にしーちゃんができていたことが、急速にできなくなっていったのがよく分かります。5月に入ったばかりのしーちゃんが、本当に遠い存在のようです。5月に入ってからは、階段を一歩一歩降りるように、病状が着実に進行していきました。4月の発作以降、劇的に回復しましたが、それはやはり一時の奇跡を見せてくれたのだと思います。それは、しーちゃんが最期に見せてくれた、夢の時間、私たちにプレゼントしてくれた、短い別れの時間だったのでしょう。

 

しかし、もうほとんど諦めざる得なかった私たちには、十分過ぎるプレゼントだったと思います。しーちゃんは、生命の最後の一滴まで頑張ってくれたと思います。ただ、人間は欲張りなもので、ついこのあいだは諦めていたのに、奇跡をみせてくれると、もっと生きてほしいと欲が出てしまいます。でも、いまは、生命力の限りを尽くしてくれたしーちゃんに、感謝しかありません。

 

5月12日、朝方、やや息苦しそうにしています。少し呼吸が乱れているようです。呼吸の変化は、看取りの段階において、非常に重要な変化だと理解していましたので、緊張感が走りました。酸素室に入ってもらい、しーちゃんの状態を午前中いっぱい、見届けていましたが、幸い、この段階では、それ以上の状態の変化は見られませんでした。容態が落ち着き、午後は少し、しーちゃんとともに、落ち着いた時間を過ごしました。

 

昨日から動くことができないのはもちろん、食事は受け付けませんし、水を飲むのも苦しいような状況で、舌も元気な頃のようにでてきません。やはりもう限界に近かったのだと思います。声も前日あたりから、本当にか細い、子猫のような声となっており、この日はさらに消え入りそうな声となっていました。

 

夜、私がしーちゃんの輸液の準備などをしていると、妻が、しーちゃんの変化に気づきました。「鼻がひくひくしているよ」と。どうやら、また、呼吸が乱れてきているようです。それは21時頃だった思います。午前中のように、落ち着いてくれればと、高濃度酸素も当て続けて、心の中で祈りましたが、落ち着く気配は見られません。

すると、次第に呼吸が荒くなっていきます。輸液の準備はしましたが、もはや投与は諦め、しーちゃんの側で声を掛け続けるしかありません。いよいよ、看取りの時間が近づいてきたのかもしれません。

 

口も開くようになり、必死に呼吸をしようとしているように見受けられました。その時は、尻尾も膨らみ、上を向くようになっています。時に身を捩って、苦しそうにしています。そうなると、もう見ているのも辛くなってきます。「頑張って」とはもう声を掛けられません。「もう十分がんばったよ、楽になっていいんだよ」と、妻とともに心の中で叫んでいたと思います。

 

いよいよ、苦しくなり、必死に口で息を吸おうともがいています。私は必死に名前を呼びながら、心拍を取りました。その直後、一息したかと思った刹那、静かにその動きが止まりました。私の手がしーちゃんの鼓動を感じ、しーちゃんの動きが止まったわずか後に、その鼓動も静かに止まるのが、私の手に伝わりました。

 

それが最後でした。

しーちゃんが今まさに旅立っていったのです。

 

時間は23時を差していました。呼吸が乱れてから2時間ほどが経過していました。ただ、口呼吸になってからは30分くらいだった気がします。そして、本当に苦しそうに必死に呼吸をしだしてからは、わずかな時間だっと思います。

 

奇跡を起こし続けたしーちゃんも、その生命の火を最後まで使い果たし、逝きました。高齢でもあり、腎臓病が非常に悪化した時点で、永く期待するのは難しいものであり、いかに、穏やかな最期を迎えさせてあげるかが、私たちのできる最期の、最大のことであったと思います。

再びのけいれん発作などを起こさせることなく、長く苦しむことなく、逝かせてあげることができ、一抹の安堵感はありました。

 

この後、私たちはひとしきり泣いた後、思いのほか冷静に、亡き骸を整え、さまざまなものの片付けを進めました。悲しみ、徒労感、安堵感…さまざまな気持ちが交錯してしまい、感情が麻痺してしまっていたようです。しかし、時間が立つに連れ、次第に、どんなに頭で納得しようと、感情が付いていかなくなってきます。

 

「しーちゃんは、健康で長生きで、穏やかな一生で幸福だった。私たちも、最期まで一生懸命面倒をみて、医師とともに、できる限りのことをし、全く後悔はない」。そういうふうに、頭では納得しているのです。でも、どんなに頭で納得しても、感情はそれとは別の生き物だということを、はっきり知らされました。何度も危機があり、頭では覚悟はできていたつもりでした。しかし、心は覚悟はできないのです。

 

ほとばしるように流れる涙を、止めることはできませんでした。

 

たくさん撮ってきたしーちゃんの画像の中で、一番かわいい写真です